現状維持では変えられない。思い切った行動が必要な時がある。

 

あなたは現在の仕事についてどのくらいの期間が経過したでしょうか?

そして、その仕事をこれから数十年続けると仮定した場合、あなたの数十年後の未来がどのようになっているかという想像ができるでしょうか。

 

プロフィールにもある通り、私はいわゆるブラック企業に勤めていたのですが、入社当初は『この会社で定年まで働く。』と思っていたものです。

その思いはわずか数年で『この会社で定年まで働くのか?』という思いに変わっていました。

 

長時間残業、パワハラ、わずかしか増えない給料、会社の利益は上がっているのに下がっていくボーナスなど、この会社に居て自分の数十年後の未来など想像もできなく、まさに先の見えない状態の日々を過ごしていたと言っていいでしょう。

 

このままでは絶対に狂った人生になる。

 

そう思った私は、35歳にして退職を決意し、それまでとは違う人生を歩むことを決めました。

この記事は、そんな仕事によって先の見えない人生を送っているというあなたへ贈る私の体験記です。

先の見えない日々…不安を感じ始めた20代後半

 

異常さに気付くこともなく、それが普通だと思っていた。

 

専門学校を卒業し、新入社員として某有名トラックディーラーにメカニックとして就職した私は、やる気に満ち溢れていました。

『ここで1番のメカニックなってやる』『この会社に定年まで勤めるんだ』社会人として就職した初めての会社に大きな希望と期待を持っていたことを覚えています。

 

給料に関しても特に不満もなく、最初から高いわけがないわけですし、寧ろ『満足に仕事ができているわけでもないのにこんなにもらえるのか』と思ったくらいです。

更によかったことは人間関係で、メカニックは20名以上いたのですが、人間関係は良好で非常に働きやすいと言える環境でした。

 

入社当初、新入社員はしばらくの間残業はできなかった(会社側の心遣いというよりは、満足に仕事ができないからと思われる。)ので、定時で帰ることが当たり前。

しかも、定時を迎える20分くらい前には片づけを開始して、定時にはズバッと帰ることができていましたので『いい会社に就職できた』と思っていました。

 

ひとつ疑問だったのは、新入社員以外は誰一人として定時で帰っているという姿を見なかったこと。

そこでその疑問を持った次の日、先輩に『昨日は何時まで残業だったんですか?』と聞いてみたわけです。

 

先輩→『昨日はあまり遅くなかったよ。22時位だ。』

 

………。一瞬耳を疑いました。

22時前の残業が遅いわけではないというなら、何時までやれば『昨日は遅かった』っていうのだろう?

 

その時は、それ以上聞けませんでした。

 

そして入社してから数ヵ月が経過したころ、ついに私にも『残業してもいい』と上司からの許可が下りたのですが、実はこの時は嫌な気持ちよりも嬉しさの方が勝っていたことを覚えています。

それは、メカニックは残業手当がしっかりと支給されていたので残業した分だけ給料に跳ね返ってくるから。

 

どれだけの金額が給料にプラスされるかと考えるだけでワクワクしていたことを思い出しますが、今思えば当時は若かったですし、独身でしたし、残業したところで誰かに迷惑をかけるわけでもなかったということもあって、会社のおかしさに気付けなかったのでしょう。

実際、入社当初に聞いて驚いた22時を超えるという残業も、やってみれば特に苦になるわけでもなく、平然とこなしていたものです。

 

家に帰るのは、風呂に入るのと夕食と寝るため。まさに社畜のような日々を送っていた。

 

そんな生活も毎日のように続けば、いつしかその状態にも『慣れ』が生まれ、異常性など感じることもなくそれが当たり前になってしまうものなのです。

しかし慣れてはいるものの、やはり疲れというものはあり、集中力が散漫になってくるということもあって、私の同期の一人が大怪我を負ってしまうという事がありました。

 

今になって思えば、当時は過労死ラインを超える残業は当たり前のようにやっていましたから、ケガ人が出るという事は必然だったのかもしれませんね。

 

その怪我は命に関わるような症状ではなかったものの、緊急を要する事態で、他のメカニックの判断で救急車を会社に呼び、そのメカニックは病院に搬送され治療する事となったのですが、会社はそれを問題視したわけです。

それは『悪く目立つような事を勝手な判断でしやがって。』というようなもので、要は社員の事よりも世間体を気にしたということ。

 

『ケガしたやつが悪いんだから、救急車なんて大袈裟なことをするんじゃない。会社が悪く見えるだろ。』と言っている人もいたようで、上層部への不信感はこの頃から持ち始めましたね。

今思えば、それは完全なパワハラでした。

 

上司からのパワハラというものに関しては、工場でも一部の人が標的になったりという事はあったものの、メカニックは被害にあった人は少ない事は一つの救いでもありました。

問題はメカニックではない事務所で勤務している人達で、定期的に『うつ』と診断される人が出たりしていたわけです。

 

多くの人が働いている事務所内で、上司が自分の席に部下を呼びつけ、大声で怒鳴りつけるという光景をたまたま事務所に入ったというタイミングにもかかわらずに高確率で見かける。

その時は単純にミスしてしまったことで怒られているのだろうと思っていました。(後になってそれは確かに部下に多少のミスはあったものの原因追及もされないままに、結果だけを見られ、経過は無視、更には上司から嫌われている人が憂さ晴らしされるかのように怒られているという事を知る。)

 

ある人はうつと診断され、それでも出社し自動車事故を起こしてしまったり、またある人は正気を保てなくなってしまったり、またある人は売り上げが上がらないことで、ありもしない責任を追及され退職に追い込まれてしまったりと、完全にブラック企業といって差し支えないような状態の会社でしたね。

それでも、その時は退職を考えるという事はなく、まずは自分がケガをしないように気を付けて仕事をしなければと思ったくらいで、今まで通りの日常に戻ったのです。

 

人生の一大イベント…『結婚』

 

数年が経過し20代半ばに結婚した私は、結婚することでモチベーションも上がり、今まで以上に頑張らなければという思いで働きます。

妻はいつも帰りの遅い私を寝ないで待っていてくれて本当に支えてもらっていたし、心から感謝していますが、私はこの時大事な部分を忘れてしまっていたようなのです。

 

当時の私はいつも遅くまで残業しているという事に対する妻の不満に気付いてあげられず、とても寂しい思いをさせてしまっていたようで、ハッキリ言って夫失格と言っても過言ではなかったでしょう。

夫婦間のコミュニケーション不足が顕著に現れていました。

 

しかしこの頃は、残業は多いけど『仕事だから仕方ない』と特に今までと変わることも変えることもなく日々を過ごしていたのです。

 

会社から認められ出世

 

一般社員から役職が付くことで、自分にも自信が付き、更に頑張って働こうという思いが強く生まれました。

役職手当も付くことで、手取りは増えたものの、基本給があまり上がらなかったためボーナスや残業単価も目立って上がることはなく、給料は残業をどれだけやったかで決まっていたようなものです。

 

そして訪れる不安…キッカケは子ども…しかし…。

 

20代後半になると子どもが生まれ、ますます稼がなければならないという状態になり、それまでと変わらず遅くまで労働していた私ですが、ここで今まで普通にこなしてきた日常がおかしいのではないかと感じることになります。

キッカケは子どもと接する時間。

 

朝起きて、30分~1時間起きている状態の子どもと触れ合い出社、その後は深夜に帰宅するため子どもは寝ている。

そんな生活が毎日のように続き『これってやっぱりおかしいよな。』という思いが芽生え、同時に何とも言えない不安を感じたことを思い出します。

 

ただ、仕事仲間に相談しても、周りはそういう世界を生きてきた人ばかりなので、『この業界なんてそんなもんだ。』とそれがあたかも普通の事のように話す人達ばかり。

そうなのかな…とバカな私はその時も折角気付きかけた異常性にまた蓋をしてしまったのです。

 

それでも一度感じた違和感は、完全に消えることはなかった。

このままではダメだ…退職を決意。

 

不安を抱えたまま数年…ついに行動を起こす。

 

それから月日は流れ、やはり年々会社に対する不信感は減ることはなく増え続け、更には相変わらず家族と接する時間に疑問を感じていた私は転職を視野に入れます。

様々な転職サイト、転職エージェントに登録し、求人情報に目を光らせる日々が続きますが一歩踏み出せずにいた頃、突然事務所内への異動を命じられるという私にとっては大事件が起きたのです。

 

『あんな腐った環境で働かなくてはならないのか…。』

 

『もう辞める』と思いながらも、次も全く決まっていない状態で辞めてしまうわけにもいかないという事もあって、泣く泣く異動を了承したわけですが、予想通りの環境だったという事は言うまでもないでしょう。

相も変わらず、更に昇進した上司が部下を呼びつけ怒鳴りつけていたり、上司のミスを部下に責任転嫁したり、心無い陰口を聞いてしまったり。

 

自分はパワハラの標的にはならなかったものの、工場で10年を超えて働いてきた私が異動して僅か数カ月で『これは本当におかしくなる』と思ってしまったのです。

もう『辞めるのは次が決まってから』と一般的な常識は捨てて、まずはこの環境から離れるという事を最優先にした私は退職することを決意します。

 

遅すぎる決断でした。

 

妻の不満に気付いた後も働き続け悲しい思いをさせてしまったこと、何年も妻に子育てを一人でやらせるような形にしてしまったこと、子どもの成長を、何気ない日常の中で見られるはずの大切な瞬間をどれだけ見逃してきたのかとこの時私は後悔することになったわけです。

 

先なんてずっと前から見えていなかった。

それでも思い切って行動することができなかった愚かな自分。

 

そんな人生もこれで終わりにすると誓い、退職を申し出て、一通りの『引き留め』を攻略して余っていた有給休暇の消化に入りました。

転職するなら、有給期間に行動すれば何とかなるだろうと思っていたし、特に選ばなければ転職には困らないだろうし何とかなると根拠のない自信があったのです。

 

ある世界を知り、可能性が無限に広がった。

 

退職までのおよそ2カ月の間に、自分の第二の人生進路を決めようと思い、雇用されるのか、起業するのかなど色々な情報を集め始めた私はそこで初めて『ネットビジネス』の存在を知ることになります。

それは本当に衝撃的で、自分の中の進める道は2本程度しかなかったのに、それが無数に増えたようなどこか不思議な感覚を持ったことを覚えています。

 

『これしかない。』

 

素直にそう思った私は、ここから色んな可能性を考え調べることに没頭したのです。

ちなみに調べていくとわかりますが『楽に稼げる』『一日〇クリックで報酬発生』など、甘い言葉が至る所に転がっていますが、そんなものはあり得ないだろうと今でも一切信用していません。

 

調べていくうちにわかったこととして、ネットビジネスに取り組むうえで絶対に必要な事は、やることが決まったら『できる限り時間を費やす』『とにかく継続する』という二つでしょうか。

一朝一夕で稼げるようなものはありませんし、稼ぐ目標にもよりますが、稼げるようになるまでにはかなりの努力をしなければならない世界だからこそ必要なことは挫折せずに継続する事。

 

『一度きりの人生、挑戦するべきだろう。』

 

ただ、パソコンも初心者の自分がたった数カ月の間にサラリーマンの月収レベルまで稼ぐことができるのかと言われれば、そこの自信は全くありませんでした(笑)。

無収入のまま、何年も暮らしていける程の余裕はさすがにありませんでしたので、やはり本業があって、副業レベルからのスタートにしようと思っていた矢先、学生時代の友人からの誘いで、その友人が勤めるホワイト企業への入社が決まったのです。

 

第二の人生は『ホワイト企業+ネットでの副収入』という道を歩みます。

 

退職してから人生の歯車が上手く噛み合い、調子よく回っている。何より、人生を楽しんでいる。

それは、やはり『このままではだめだ』と危機感を持ち、真剣に考え、思い切った行動をすることができたからと言っても過言ではありません。

 

しっかりと行動できたからこそ、自分の未来の可能性を広げることができて、いい話も舞い込んできたのだと本当にそう感じています。

まとめ

 

いかがでしたか?

 

私のように仕事が原因で、自分の未来に不安を覚える人は少なくないでしょう。

そんな時に必要な事は、よく考える事と、しっかり行動することです。

 

止まっていては何も変わらない人生も、思い切って行動すれば多くのチャンスに巡り合う事ができ、人生そのものがガラッと変わることもあるのだと心得てください。

これを読んで、少しでもあなたの人生が良い方向に進んでくれたらそんなに嬉しいことはありません。

 

一度きりの人生、その岐路に立った時、選択するのは他でもないあなたです。

思い切った行動が、人生の歯車が円滑にまわるキッカケとなるという事を肝に銘じ、楽しめる人生を送ってくださいね。

 

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